疎開日記1(自分用)

忘れないうちに書き留める。自分用。

311震災が起こったその日の夜、普段一時間の道のりを湘南から5時間近く掛けて我が家に戻る。私の故郷、東京町田には渦を巻いた様な風と不気味な静けさが覆った。私は仲間と家に集まりロウソク一本で冷静に語らった。現状はどうなっているのか、コレはHAARPの仕業なのか、イソジンがどのように効くのか、各地域のガイガーカウンターの数値、水や食料の確保について、今までの原発事故の事例など、仲間同士で集められる情報全てを集め真実とデマ全てのカオスから真ん中を選ぼうと決めた。
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312この日も午前中から避難の準備、情報収集、ならびに仲間と状況の話し合いを一日中していた。自分の誕生日をまたぐ地中音波ライブも中止。
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313ほぼ寝ずに次の日を迎え仲間の一人がこれはメルトダウンしているからもう出ない他に道は無いと言ったが自分達の感情や偏りをリセットする為にも道志の奥にある温泉に一時的に避難と言う名の観光に出た。行く道ではオイルショックの様にガソリンスタンドに行列が出来て、スーパーの棚からも商品は消えつつあった。静かなパニック、それでも静かな川の畔の温泉に付くとしばし心が安らいだ。少しの安堵で嫁と子供の顔つきが変わったのを見て少し安心した。
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314この日の朝早く仲間の一人が先陣を切ってバイクで彼女を連れ避難。私は一日状況の把握と避難準備に追われる。町の静かなパニックは続きレトルト食品、水、米、乾電池は商品棚から姿を消した。夜には無灯火でミゾ君夫妻と語らい一杯飲んだ。
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315朝早く福島原発の表玄関から数千ミリシーベルトを検知、福島方面より軒並みガイガーカウンターが上昇。嫁の一言で決意、家族を乗せて東名高速に乗る。しばらく走り静岡過ぎたあたりで先陣の仲間と合流。後発の義母と義弟と合流なんとか夜半まで走り岐阜にたどり着く。民宿に一泊。東海の大きな余震、岐阜も震度四。次の瞬間静岡方面でのオイルショックが始まり戻ると言う選択は完全に絶たれた。
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316西へ向かう途中吹雪になったり、晴れたり雲が途切れたり変な天気が続く。京都で休憩、皆で参拝。犠牲者の鎮魂、ならびに本当の神頼み。深夜目的地福岡に到着。到着した瞬間の安堵と津波の被害、原発の被害、これからの日本を考えると涙が止まらなかった。ポケットに残ったのは一枚のカードと6円のみ。それでも何一つの後悔は無かった。
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